死に顔

台風が来ている。迷走台風。長寿記録更新するかも。ネットでおじいちゃんとか言われてて笑った。私の頭もこれくらい無軌道なはず。整えるな。昨日は写真美術館。あの長いベルトコンベアーを毎回通って行くからか、いつも不思議な感覚になる。繰り返される記憶みたいな。アラーキーやら北島敬三やらやなぎみわの見る。報道写真展はぐるっと回って出た。目が見えなくなったのかと思うほど。アラーキーの毒にやられたのか。伊藤俊治の話も聞く。この日は早く目が覚めて、それでも逡巡しながら、10時の20分前くらいに着いたら数人しか並んでなくて拍子抜けした。もう過去の人なのか。それとも真面目な話を聞こうと思う人なんて少ないのか。以前東松照明の写真集記念のトークショーに行って面白かったからまた聞きたいと思った。今回の展示、写美のホームページ見る限り全く惹かれないなあと思ったが、行ってみたらよかったのでよかった。だいたいホームページ自体がよくない。美術館自体もなんだかなあと思っていた。こういうのも独りよがりの妄想であることは十分あり得る。印画紙がそのまま壁に貼られているのに興奮した。トークイベントの中で、基本額装は好きではないってのがわかり、そうだよなーと思う。日記を額装するなんておかしなことだ。大きな印画紙。大きいと言ってもそんな馬鹿でかくはない。なんていうサイズなのか、大四つまでしかやったことないからわからない。今まで大きくプリントする必要性を感じなかったが、自分も大きくやってみたいと初めて思った。壁に貼るのはなにか印画紙を痛めない特殊なものを使ってるんだろうか。剥き出しの印画紙。伊豆で見たレンペルトも壁に貼っていた。でもレンペルトはマットな紙、アラーキーは光沢。だよなあ。でも反射してなかった。よくわからない。大きな印画紙、買えないなあ。明日の医者代もやっと工面した。工面というか、自転車操業。今ってどういう状態かしら。カード会社からの電話もかかってこなくなって逆に怖い。母親からもない。きても出ないんだけど。伊藤さんの話では、死という言葉がたくさん出た。写真を撮る行為、写真を撮るまでの時間が既に死を思う時間になっている。写真は死の現在進行形を留めるものだ、と。強制的に時間を止める。そこに留まることはいいことなのか。自分のことを考える。なにかに化けるわけでもない、ただの自分。死へのカウントダウンを自分でしてしまっているんじゃないか。今はあまり撮ることはない。でも出発地点だから考えてしまう。打ちっぱなしのコンクリートにモノクロの空の写真を並べたらあまりにも寂しかったんで色を塗った、というのは面白かった。モノクロとカラー。並べられた食事の写真。あまりにも美しい死に顔。しかも楽しそう。あやふやになる記憶。顔が一番裸って言葉にぎくっとくる。自分の顔。ポラロイドで一日一枚撮ってたことがあった。タイマーもないから手持ちでピントが合わなかったりぶれたり。髪を切ってから記念に一枚撮ろうと思って撮った。前のと比べたらだいぶ顔がほっそりしてる。痩せるのは顔からというけど、別人みたい。腹の肉を掴むと、たいして痩せた気もしない。死に顔、に表情を感じるのは不思議なことだ。いつ時間は止まるのか。かたまって、燃やされて、骨になる。死、と記憶は繋がるのかな。一枚一枚が自分の中を構成していって、埋まったところで死ねればいいかな。突然途切れても、それはそれでいいけど。

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