もの

禅寺に並べられた石はひとつひとつに意味が込められている。その意味というのは人間が与えたもので石が自然を凝縮したものであるとしても自然と一体になり精神を飛躍させるための道具でしかないのか。意味も、精神性も剥ぎ取り、ただの石として見たら。「これはもしかしたら石ではないのかもしれない」そこら辺にありそうななんの変哲もない木の板が無造作に接ぎ合されたり、金具で留められたり、線を引かれたりしている。なんの意味もない。驚くほど削ぎ落とされている。シンプル、とも違う。違和感を生じさせながら、見れば見るほど静かな美しさを保っている。そこにあるのはモノと作家の対峙。どれも両者の戦いの記録のようであり、見つめる眼差しのようでもあり、まさにそのもの、のようでもある。六本木から恵比寿、渋谷。歩けば歩いただけ理解できないものにぶつかる。暫くぶりに行った渋谷の変貌。工事現場に囲まれた迷路のような通路。下を見ればいいのか、横を見ればいいのか、上を見ればいいのか。仮に作られた金属の階段に響く甲高い足音はまるで街の足音。街が歩いている。一定であるべき自分の高ぶる気持ちを抑えられないでいる。OM-1を持ち出して撮ったのは近場を除けば久しぶりか。手が震える。使ってないなら感覚も鈍るのも当たり前だ。菅木志雄の展示の紙に「相依性」という言葉があった。造語だろうか。何か引っかかった。