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ミュシャ

テーマはないと言っても撮るものは自然と定まってきている。フィルム現像の時間も少し変えたりしている。テーマというのはいつ決められるものなのか。一定数集まればテーマとなるのか。たぶんいろんなやり方があるんだろう。ガチッと決めてやるタイプでないことは確か。それでも決まりきってやりすぎてるかな。もっと遊んでみたい。展示を三か所回った。地下鉄を乗り継いだのでかなり疲れた。階段ばかり。今日は暑かった。ノースリーブにカーディガンでそのカーディガンもいらないほどだった。よく皆服を着てられるなと思う。慣れなのだろうが。靴もサンダルにしたがやはり長く歩いたら足が痛くなった。足がまだ慣れてない。最近は楽なローファーやスニーカーばかりだったから。一時地味なかっこしようとしていたがまたちょっと戻った。テンションが戻ってきたせいもある。多少派手にしたほうがまわりの対応がよい、と思うのは気のせい?国立新美術館でのミュシャ展。巨大な連作、スラブ叙事詩。これだけのものを描き上げる熱情みたいなものはどこから湧いてくるのだ。大原美術館コレクション展の時も巨大な絵画が何点もあり圧倒された。まだ若い画家たちの作品。イメージの奔流が絵筆に乗り移ればたとえ巨大な作品であろうと苦にならないのかもしれない。その大きさこそがまず必要になるのかもしれない。写真を大きく引き伸ばす必然というものは・・・なんだかちまちまやっている。でもまた展示をしたいという気持ちが出てきた。何らかの目標。