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手帳が疲労で満ちていく。どうしてこんなに疲れるんでしょう。休み休みやったのにな。心が朽ちていくことはあるのかな。心臓が止まるのと同じように。最近目がおかしい。今まで頼ったことないけど目薬買うか。たくさんプリントした。以前のように闇雲だ。

「カメラ」

昨日一昨日と私にしてはハードだったから今日はゆっくりしていた。でもなんだか疲れている。ネットオークションで買った『ライフ写真講座』が届いて興奮したのか。予想の上をいく立派な本。デザインも秀逸。文章も分かりやすく、紹介される数多の写真家の作品を見ているだけでも楽しい。15巻あって、とりあえず「カメラ」から始める。無味乾燥なカメラの構造説明から入るのではなく、大写真家がいかに写真を撮るようになったかとか、写真の多様性、意義などから始まるのが素晴らしい。これなら退屈な勉強にならずに済みそうだ。その後もちろんカメラやレンズの原理とかの説明もあるんだけど、図版や図解のデザインなんかもとてもかっこよくて、うれしくなる。頑丈なケースもついて15巻揃うとかなりな重量。かなりスペースも取るので、暗室のテーブルの下に並べた。この部屋は広いようでどうも有効利用できてない。ヨガができるくらいのスペースがあいてるのはいいことだけど、もうちょっと収納をどうにかせねば。このまま朽ちてゆくのかな。そんな不安もよぎる。昨日はまた石神井公園で撮影して、歩いていたら魚の死骸が道端にあった。池からなんで陸にあがっているのかわからないが、目玉がなくて、もう数日経ってるのかもしれない。数秒間見つめてから、急いで一枚だけ撮って逃げるように立ち去った。いけないことをしている感覚なのか、人に見られるのが恥ずかしいのか。野鳥を観察する人、ウォーキングする人、咲き始めの桜を楽しむ人。そんな中で特に何もない水面や木や岩を撮っている。自分では何かあると思って撮っているのだけど、人からは変に思われるだろう。黙々と撮っているようで、無用な気疲れをする。メイラックス1錠では、こういう日はきついみたい。デパスは都心に出かける時だけ、としてもそもそもたまにしか出かけないので、精神的な辛さを感じたときは1錠飲むことにする。スマホをやめて少しは集中できるようになったか。しかし今度はツイッターやホームページもやめたくなってくる。ホームページはたいして更新していない有様。爪の赤を落とそう。足はいいけど。

おかし

昨日にもまして寒い。風に飛ばされそうになる傘を支える。auショップへ行ってスマホを解約する。長いこと使ってきた電話番号ともおさらば。昨日は日曜でNに会いに行こうと仕度をした。でも行かなかった。やり方を変えてないのに、化粧をしても変な風になる。化粧をすると老ける。余計に。なにがいけないのかわからない。体調を崩して老化が進行したんだろうか。Nから連絡が来ることはない。寒いとラインしてみても当たり障りのない返答が返ってくるだけ。悪意はないと思う。でもなんだか耐えられなくなった。スマホを床に投げつけた。つもりが姿見に当たってしまってうわってなる。姿見は無事だった。スマホはあらかじめ保護シートを剥がしていたおかげで、盛大にひび割れが入った。電源も切ってあったから、そのまま本棚の奥に隠す。更新月は6月だったから、今解約すると違約金払わなきゃならないけど、もう使うこともないし。解放された気分。もう持ち運ぶ必要もない。気にかける必要もない。たまにしか使わないけど、電話ぐらいはないと困るような、気もする。新しい電話番号を持つのはいつになるやら。服装も地味にしよう。地味というか、自分にとって楽な格好。化粧も新しいやり方を見つけてみる。昨日から引き続きお菓子をたくさん食べている。まだまだたくさん食べたい。とっても寒いから暗室に入るのをやめてプリント計画をたてる。無印で買った4コマノートがやっと日の目を見た。四角い枠がちょうど写真の比率ぐらいだから、そこにプリントしたいコマの絵コンテみたいのを描き込む。何秒でやるかとか、シャドウとハイライトの確認、焼き込む部分など。覆い焼きは学校でちょっと習ったぐらいで実践にほど遠い。本で勉強することもできると思って、ネットで暗室関係の本を注文する。今までむやみに印画紙を使い過ぎていた。プリントをじっと眺める。人にいいと思ってもらえるかはわからないが、自分らしさはきっとある。今は続けていく気になっている。余計なものから身を剥がす。今はお菓子。

まる

今日は一日雨みたい。とても寒い。昨日はまあまあの天気で、気分もよかったから都心に出かけてみた。混んだ電車に乗ってしまってどうなることかと思ったけど、わりあい平気でいられたので、大丈夫と自分で自分を落ち着かせる。恵比寿の写真美術館がリニューアルオープンした時に買った年間パスポートが月末までで、行かなくちゃと思っていた。山崎博「計画と偶然」と、日本写真開拓史総集編。どちらも面白かった。規定が変わったとかでどちらも無料で見られたのはラッキーだった。日本写真開拓史は日本の写真創生期、幕末から明治の写真がずらっと並んでいた。鶏卵紙やダゲレオタイプのものもとてもきれいに残っていて、しかもぴしっと写っているのが不思議だった。創生期の写真は人物に尽きる。風景もあるがあまり面白くない。実際に存在した、ということはわかるのだが、こうして偽りのない写真で見せられると、連綿と続いている人間の営み、みたいなものを感じる。武士は鍛えられているのもあるのか、本当に格好よく写っている。当時は写すのに時間がかかったろうに。面白かったのは、当時のいろいろな職業の人間や習俗の場面を写した、幕末から明治初めの作品群。これはたぶん激しく移り変わっていく社会で、近いうちになくなってしまうだろうという危機感から撮影されたんだろう。記録するということが主眼だから。でもちゃんと作品になっていて、撮影者の美的センスを感じる。背景が同じだったりして、周到に演出されているのがわかる。着物のちょっとくたっとした感じにうれしくなる。打って変わって山崎博。この人について全く知らなかったが長年活動されている。特に初期の70年代の作品が心にびりびり来た。不思議でありながら黒い枠に収められて美しさを保っている。この美しさ。フォトグラムもあったり、影絵のような桜はこないだ見たアピチャッポンを思い出した。太陽を撮る、というのは自分でもやってみたことがある。なぜ撮りたいと思うのか。原初的なものだからじゃないか。海も似た感じ。でも太陽のほうが撮るのが大変。なにせ光の塊だから。それから、円いというのもある。まるいものに惹かれる。そこには全てがあるような気がする。言わば小さい宇宙。欠けることなく全てが満たされている。ゼラチンシルバーの作品を見て、汚いグレーになってはいけないと肝に銘じる。あとは主題の明確さ。もう少しもお金に余裕はないのだが、迷わず図録を買ってしまう。いい展示でも図録が残念な時があるけどこれはいい感じ。ロングインタビューが載った小冊子も買ってしまった。どうやって撮ったのかや考え方について触れられるのはうれしい。写真だけじゃない、あらゆる表現に触れて、自分には到底作り出せないものがあること知って、嫉妬しろ。この言葉には勇気づけられる。自分には何もできない、むしろやめてしまったほうがいいんじゃないかと思ったりしていた。でも嫉妬しながら進めばいいんだな。今日はほんとに久しぶりにフィルム現像をした。昨日恵比寿で最後まで撮ったから。写真美術館の後には小さなギャラリーで野中ユリさんの展示も見た。地図を見てもなかなかたどり着けなくて、自分の方向音痴ぶりに絶望しながら。外の世界にはいろんなものがある。そういうものに、少しでも自然に触れられるようになりたい。

風が強くて外は寒そう。いったん暖かくなったものだから、また暖房をつけることをためらってしまう。昨夜コーラックを飲んで早朝トイレに駆け込む。今回は効きすぎたのか体力の消耗が激しい。気持ち悪さはよくなったのに、まだ調子が出ない。昨日はわりと調子がよかったので久しぶりに暗室に入った。手始めに5×7のRCをプリントする。バットも小さいので済むし、RCなのでサクサクできる。暗室に入るとまた少し気持ち悪さが出てきたがそんなにひどいものではなかった。空気が悪いんだろうか。それとも暗い中にいることがいけないのか。yashica diaryのは面白くてプリントしたいのがたくさんある。距離をだいたい合わせてシャッターを押すだけ。感度設定もできるのでそこをいじればもう少し一定するのかもしれないが、大抵撮りたいと思えばそのままポンと撮ってしまう。このカメラはカシャッといわない。ポン、ていう感じ。バライタの六切りと同じく、こちらもノートリでやり始めた。日付がわりと内側に入るようになってるから、これまでは日付に合わせてプリントしていた。月と日は本物で年は偽物の日付。あとこのカメラの面白いとこで曜日も入る。78年に発売されたカメラで年は78から91までしかない。でもよく写るし、日付が入るのがなんだかもったいない気がしてきた。それで、鏡のやつだったか、六切りと同じようにネガキャリアにぴったりセットしてプリントしてみたらとてもいい感じで、日付は少し小さくなるので前みたいに特別な主張はしない。数字のアクセント、光のサインみたいなもの。日付は正しいので、diaryとして分類しやすいというのもある。せっかくこういう機能がついたカメラなので、無くしたくはない。まだ相変わらずお腹は痛くて、昨日やったプリントの確認をしていた。どうやったらいいんだろう、と分からないことにぶち当たる。独学でやるなら本を読んで勉強したりしたほうがいいんじゃないかと、基本的なことを思う。牛歩の歩みでも一歩一歩いかないと。あまりにもぼーっとしすぎている。体調がよくなってきたのはいいのだが、まだ外出するのが怖い。あまりにも人と話してないので、スムーズに話せない気がする。緊張してしまうのが嫌だ。銀座に行ったときの辛さがトラウマになっている。それから、カードをもう一切使わないことにしようと誓ったので、買い物ができない。カードがないから買い物ができないというのも変な話だが、支払いのことを考えると、もう一切使えない状況。だから物理的に?あまりでかけることができない。出かけると何かしらお金を使ってしまう。カラオケでも行って声を出してこようか。なんだか悲しくならないかな・・・。

クリニック

やっとクリニックへ。やっと、という感じ。姿勢をよく、というのを最近やってるから待合室でも意識していたが、正しい姿勢ってどんなだったか分からなくなり、緊張とまじってくねくねしていて自分でも変だと思う。自分の番になって、話したいことはたくさんあったけど、言葉がなかなか出てこない。言葉はあっても言葉として出てこない。考えてみたらもう何日も、まともに人としゃべってなかった。頭の中ではしゃべってるから勘違いしてしまう。それでも話さなければという気持ちが勝ったのか、だんだん言葉が出てくるようになって、なんとか言いたいことは言えた。体調を回復させることは今の死活問題。デパスは減らしていって他の薬に置き換えていくってことで、一日一錠だけ、デパスメイラックスが出た。帰宅して迷った結果、メイラックスを一錠飲んだ。いきなりデパスを飲んでしまったらまたその効き目の強さに慣れてしまう。今の時点で気持ち悪さが少し弱まった気がする。そのせいかなんとなく気持ちも軽くなる。まだまだだとは思う。風邪ひいても痩せたりしなかった。私が食欲ない時は死ぬ時だ。常に食欲、性欲、睡眠がある。医者の帰りにパン屋に寄った。パン屋は危険だ。おいしいパンの焼ける匂い。ご飯より手軽に食べれる上に小麦粉とバター。太るに決まってる。残ったパンも結局夜にたいらげる。今日は一日雨で寒かった。三寒四温でほんとの春になっていく。もう靖国神社の桜は咲いたらしい。桜、Nと見に行けるかな。満開になる頃にはカメラを提げて歩けるようになっているか。何が写るんだろ。雨粒が窓の外側を流れる。何枚かOM-1で撮った。何日ぶりか。フィルムが入れっぱなしになっていた。Nに触ってもらいたい。手が体全部に触れると、私は実体が取り戻せる。

離脱

ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨かれないように、人間も人間とのコミュニケーションでしか成長できない、とチェ・ゲバラの名言集にあった。私はなんでも真に受けてしまうところがあって、だから私は成長できないんだなと納得する。自分で自分を貶めることは他人にとっても不快だし何の益にもならない。自分の性質を受け入れて客観的に見究め判断することが重要だ。なんて考えてみる。客観的に。今日はまた違って、これはデパス離脱症状なんじゃないかと思えてきた。症状の項目にあてはまる。そこらへんに一錠でも転がってやしないかと探してみるがないものはない。Nに会いに行きたいのに。気持ち悪さは昨日ほどではなかったが、この前病院でもらった違う薬が少しでも効くんじゃないかと思って飲んでみたら、眠たくてだるくて起きていられなくなってベッドに入ってしまった。飲んだことを後悔した。やはり安定剤がないとダメな人間なんだ。でも極力頼らないようにする。誘惑に弱い、とか言ってられない。私は少しも記憶できない、すぐ忘れてしまうから、手帳にもっと細かく書いておくことにした。体調だけじゃなく、飲んだ薬ややったこと、その日の出来事とか何でも。予定も何もないおかげで書く部分はたくさんある。手帳なら持ち運ぶのも邪魔にならないし、保存しておいてもいい。ヨガで筋肉痛。でも無理しない感じで今日もやった。やっと休日が終わる。しかもお彼岸で、お線香もあげにこないからさっき母親から失望の電話があった。親に失望されているというのはなかなか重たい。期待、重圧が重たくて失望も重たいとはどういうことか。重苦しい。現実の中で生きなくてもいいよ、とか言ってくれる人いないかな。