N

今度は目が悪いんじゃないかと思ったり、ひとりで考えているとあてどない。火曜日にメンタルクリニック予約したからその後に行ってみようか。ぐだぐだ考えていてもしょうがないし。目は大事だから余計不安になる。火曜日になったらまた状況は変わっているかもしれないし。月曜の祝日を恨めしく思う。朝目が覚めてのっけから気持ちが悪いことに気付きブルーになる。でも天気もいいし暖かかったから鏡の前でストレッチをする。朝ごはん食べて毛布とシーツを洗濯して、昔買ったヨガのDVDを出してきて1時間ヨガもやった。初級でもけっこうきついが、心地よいきつさ。最後は瞑想して終わる。この瞑想は体を動かした後だからこそできる。瞑想だけだと私にはなかなかできないだろう。体のどこに力を入れるかとかどこを伸ばすかとか、とても的確な指示が流れるようにあるから、体を自然に動かせる。瞑想が終わり目を開くと、始める前よりすっきりした表情をしていた。その後また洗濯して、スーパーに買い出しに行って。今日は軽く化粧もしたんだった。散歩にも行きたいと思うのだが気持ち悪さはいっこうに良くならず、ヨガで体力を使ったのか疲れて横になった。本棚から一冊とって持って行ったものの全く読まなかった。だらだらスマホをいじっていた。このスマホというのが厄介だなあと思う。あるからいじってしまうんで、こんなものなくていいのに。それにも疲れるとぼーっと妄想にふけっていた。もし今元気なら迷わずNに会いに行くのに。日曜の人という呼び方はやめた。なんだか思わせぶりだ。Nとは別に恋愛関係というわけじゃない。かといって体だけの関係とも言えず、ひとにはわからない、秘密の心の通い合いみたいなのがある、気がする。とにかく変わった人。私はトトロに似てると思っている。なんだか癒される。ダメ人間同士気が合うのかもしれない。気が合う、というか馬が合うというか。でも私がNのことばかり考えているのに、向こうは全くそんなことはないだろう。それが憎らしくもある。まあ私が妄想にふけってばかりの暇な人間だからどだいそうなる。会いに行けないことと自分の体調の悪さに対する不安でなんだかやばいぞってとこまで来たが、これを書いていてちょっと興が乗ってきた。このまま寝てしまおう。もう22時。

動かす

タイプしていると机がガタガタいうようになった。どこかネジでも緩んでるのか。月日が経つといろいろ不具合が出てくる。気持ち悪さの原因が持病の首なんじゃないかと思い当った。首の痛さはないから気が付かなかったが、昨日ストレッチをしてみたら肩甲骨まわりがおそろしく凝っていた。触ると首筋もがちがち。凝りがひどいと背中までがちがちになる。肩甲骨を動かすといいというのは以前テレビのダイエット特集で見たことがあったので、意識して動かしてみる。もうそれだけでどっと疲れるが体がなんだかほかほかしてくる。冷えに悩んでいたからこれはいいのかもしれない。今日はずっと体を動かすことや姿勢を正しくするのを意識していた。ヨガマットは母親にあげてしまったし、とフローリングに毛布を敷いて寝転がってみたら、新鮮な感覚。下が固いから体があたる場所を意識できる。体をひねったりしてストレッチ。昔やっていたヨガを思い出しながらやってみる。部屋にはスタンドタイプの姿見がある。体を久しぶりに動かして楽しくなったのか、鳥のように鏡の前で舞ってみる。肩甲骨が上下する。疲れるけど少しずつ体がほぐれて姿勢もよくなればいい。気候も暖かくなり始めたからちょうどいい。散歩も行こうとしたが駅前で買い物しただけで帰ってきた。ゆっくりやらないと。でも近所の猫をばっちりカメラにおさめた。すごい写真を撮っている人を見つけた。次元が違っていた。カラーだけどすんなり入ってきた。すごい人はいるもんだ。自分は何がしたいんだろ。小さなことでいい。私には大きなことはできない。

見る

動こうと思えば動けるんじゃないかと無理やり出かけてみたら散々だった。安定剤が切れている状態、が来てしまった。家にいるからわからないだけだった。原因不明の気持ち悪さと極度の緊張で気を保つのがやっとだった。電車の中でもう帰ってしまおう、無理だろうと思ったけど、メイプルソープ展、これは見なくちゃならない、これだけ見てすぐ帰るんだからと。いつも見上げるだけだったシャネルのビルに入って4階に上がる。入り口からはそんなに規模の大きい展示に見えなかったけど、奥に奥にと広がる。こんなにたくさん見れるとは思わなかった。その時だけは気分の悪いのも忘れられた。写真集で見ていた彫刻の写真もあった。白い四角形。花の静物写真もたくさんあったしヌードもポートレートもSMもセルフポートレートも。初めて見るものも多かった。美しさに見入った。そしてまた辛い帰りの電車に乗った。迷った末履いてきたハイヒールを後悔した。私はなんでこんなに無様なんだろう。ふらふら倒れそうになりながら歩く。一枚だけ銀座で撮れた。いつ現像できるのかわからないフィルム。今までしっくりきていた作家名さえ嫌になる。もう見たくない。ただ美しいものを見たということ。これだけ。

からっぽ

気持ち悪くて起きていられない。布団に入っても温まらないのはどういうことだろう。なんだかやり切れない。布団は体を温めてくれるものだろう。寒さを感じることが多くなった。一度冷えるとなかなか温まらない。薄着でいるのがいけないと言われそう。それとも運動不足か。ストレッチすら続かない。今の私はからっぽだ。今のことを考えていても、突然過去の自分が立ち上がってくる。黒歴史とか言うのなら、私の全部が黒く塗りつぶされている。白くあったことなんかない。白いのは肌だけ。これがいつまでも私に付きまとう。散歩にでも出てみればいいのかもしれない。目的も無く出かけるのは苦手だ。無防備でいることは恐ろしい。何かに守られていないと、存在していいのかさえわからなくなる。何を信じればいいのか。体調が悪いとなんやかんや弱気になる。また日曜の人に会えるのか不安になる。私はどこに行ったの。写真家になるなんて勘違いだった。

ハチミツ、と生姜

昼に長風呂。真冬のような天気。セルフポートレートを撮っている人を見つけた。舞台で舞っているようだった。舞台では思いきり自分を表現することが求められるけど、写真というのは抑制的だと思う。写真家のセルフポートレート、写真家に限らないかもしれないが、どこかユーモアがあって、自分を笑って見ているような、客観視しているところがある。それがなんとも魅力がある。透徹した視線のような。このところ何を撮ればいいのかもわからなくなっている。昨日暗室に入ったが、ほとんど何もできなかった。たいして使っていない薬品を捨てる。体調が回復しない。医者に行ったほうがいいのか迷う。喉にいいというハチミツと生姜を買ってくる。これから。外はほんとに寒そう。昨日は母親の誕生日だった。白いお皿をあげた。母親はたまに私の心を読んでいるかのような言動をする。私が断ったラベル作りを自分でなんとか作っていた。人に頼らないようにしようと思ってと言っていた。私が言いたかったこと。その時の状態によって人を信じられたり、信じられなかったり、ころころ変わる。人の心はなんて不確かなものかと思う。自分が不安定なだけだろうか。一定しない。言葉にすると全部嘘になるような気がする。全部嘘のような、本当のような。言葉にすることはポーズになっているか、透徹した視線になっているか。結局都合のいいことしか書けやしない。なんでもかんでも書けばいいってものでもないだろう。とか。

mail

無為はすぐにやってくる。油断してると落っこちちゃう。本棚までの導線確保。服だけじゃなく他のものも整理しないと。どんどん溜まっていくプリントや試し焼きをどうしたもんだか。箱がたくさんある。小さいのや大きいの。箱だらけ。昨夜突然サトって急回復して日曜の人にメールしたら会話が通じた。話さないとダメだなとつくづく思うがこんなのいつもできることじゃない。ダメなときはダメダメだけど面白い時はすごく面白いから、ひどいひどいと思ってもメールしてしまう。風邪が治らなくて咳がひどくて、でもタンが絡まなくなってきたから大丈夫だろうか。外出するとき常にマスクをしていたらマスクに慣れた。今までバカみたいにマスクしている人が多いと思っていたけど、意外に快適。普段隠せない顔を隠せる安心感があるのかも。逆にマスクなしで出かけるのが怖くなりそう。誤解はなくなったと、まだ完全には思えないのが悲しい。まだ会ってから1年くらいだし、そんな簡単に他人のこと理解できない。「さざなみ」という熟年夫婦の恐ろしい映画もあった。他人は所詮他人で、親だって恐ろしいほど私のことをわかっていない。メールを待ってる。来ないなーって思ったときに来るメール。

なんでもない

私は何でもない。ただ極度に内向的で繊細なだけ。そういうことにしておく。もう病院なんて行かなくていい。内科に行けば風邪になり、精神科に行けば精神病になる。歌舞伎町に行けば歌舞伎町の人間になり、伊勢丹に行けば伊勢丹の人間になる。私は毒されやすい人間なんだ。バラバラだと思ったってその一つだって自分じゃないものはない。今どうするかを考える。風邪が治らないのが辛い。今は休む時期なのかもしれない。以前引きこもった時のことを考えていたけど、何をしていたか思い出せない。今はもしかして写真に毒されているのか。そうじゃないことを祈りたい。カメラを触りもしないでいることに罪悪感を感じる。何なのだろう。単純にエネルギーが切れているのか。本棚に収まっている買ったまま読んでない本を片っ端から読みたい欲求にかられた。