ミサイル

ヨガが必要だ。瞑想が。静まったと思ったのが刺激を受けるとまたザワザワし出す。今は簡単なストレッチしかやってない。DVDは50分ある。途中休んでいてもいい。でもなぜだか時間がとれない。時間がないわけじゃなく、やりたい作業はたくさんあるし知りたいこと本も読みたい。見なくていいものまで見てしまう。見なくていいもの。アラーキーの言葉で、好きなものだけ撮ってればいい、写したくないものは切ればいいというのがあった。とてもシンプルな言葉。ただ撮りたいと思ったものを撮る。なにも考えない。ただ適当に撮りすぎてるなとは思う。見なくていいもの。なんでも撮りたくなるのはカメラマンの性と言っていた人もいた。いろいろな種類の人がいる。日本の報道は遺体を隠す。でも外国ではそのまま流してたりする。手錠もそうだ。あれはなんでモザイクをかけるんだろう。性器もそう。映画の場面が台無しになったりする。いつだったか、お葬式で記念写真を撮ったり、映像に残したりするのが流行っているというニュースがあった。棺桶に入った人の顔を写メで撮るとか、私には考えられなかった。わりと最近の親戚の葬式で、故人や家族のことをべらべら語る演出とか、年下のいとこの結婚式とか見てると、もう明らかに感覚が違ってきているのかと思ってしまう。同じ世代の中でも自分の異物感を感じてきたというのに、さらに時代は変わっている。どこへ行くんだかわからない。北朝鮮のミサイルが、軌道を間違ってここに落ちてくるかもしれないから、死ぬ用意をしたほうがいい。という一つの文章ができる。交通事故に巻き込まれる、工事現場で何かが頭の上に落ちてくる、出かけているときに古いビルで大地震にあう、火事で逃げ場がなくなる、通り魔に突然刺される。いろんな想定ができるが、ミサイルが突然降ってくるは一番現実離れしていて、それでいて他のものよりインパクトがある。ちょっと心静かに瞑想でもしようかって気になる。今日は信濃町からACTに行って四ツ谷駅から帰ってきた。特別気温は高くないが、湿度が高く熱中症気味になる。帰ってきたら喉に異物感があり、ぼこぼこになってたから慌てて葛根湯を飲む。処方の六君子湯とビタミン剤も飲む。喉は私のウィークポイント。腫らすとめんどくさい。結論に至らない。もう休もう。

酷暑

調子悪い。生理前だからかただの波なのかわからない。昨日医者に行ってちょっと厄介な案件ができて、それで気が重くなってるのかもしれない。どうでもいい小さな負荷に左右される。不安定すぎる。37度。たぶんそのくらい。朝からあっというまに家が熱せられて、9時前にはエアコンをつけた。エアコンが効いてくると、外の暑さもわからなくなる。奇形じゃないほうのサボテンの一部分が赤カブみたいになってて、もしやこれは花が咲くのか?と驚く。片や隣の多肉の寄せ植えを見れば、土の上に黄緑色の気持ち悪いカビみたいのが出てて、うへーとなる。つっついてみてもよくわからないし、調べてみたらやっぱりカビのようで、根腐れを起こしている様子。たまにしか水あげないのに、通気性が悪かったのか。とにかく気持ち悪いのでこの酷暑のベランダにしばらく放置する。しばらくして見に行ったら、名前は覚えてないのだが、一番背も高く茎も太く偉そうに育っていたやつの葉がみんなしおれて下に垂れ下がっていた。たくさん枝を伸ばしていた木の枝が一気にだらんとなった感じ。土を取り替えようと思ったのだが、その土もなく、説明のページに最終手段として書かれていた、元気なところだけ切り取って瓶にさしておく、というのをやってみた。多肉は葉がぷっくりとふくれているのが健康な状態とあり、他の種類のは酷暑ももろともしない古株もあった。しかしまあ私が寄せ植えに挑戦しようだなんて思ったのが間違いだった。めちゃくちゃになった鉢はとりあえずベランダに放置。奇形のサボテンは相変わらず変化なし。ゴッドセフィアナも一時葉が茶色くなって心配したが、日照不足だった様子。その他ドライフラワー化した植物たちは時が止まったように変わらない。ほおずきは日に当たったせいか少し色が褪せた。最近は花も買ってこない。空き瓶が並んでいる。バラバラになっていたベタ焼きをA4ファイルに整理する。こういう調子が悪い時は単純作業がいい。BGMが欲しくなってユーチューブを流す。ブライアン・イーノアンビエントが一番落ち着く。心が静まる。だいぶいろんなのを聴いて自分に合うとわかったので、音源が欲しくなる。音源だけならituneで買えばよいのだが、CDとして欲しくなり、結果ブックオフの中古でその他本と一緒に買った。古本はほんとにネットと相性がいいと思う。新刊書店と違い、どこに何があるかわからないから、偶然な発見も面白いけど、横断検索のできる日本の古本屋とかほんとに便利だし、相場もわかる。こういう現状で以前、ブックオフで特別安く買えるのがなくなったとぼやいていた愛書家がいた。でもCDもかなりの品揃えで、目当てのものもあった。なんだか文章は元気がある。語りたい欲求はどこからくるのか。ふとした連想で、勝手に頭の中で会話が進んでいく。今まであったことではなくて、勝手な会話。そこでは私はすらすら言いたいことをしゃべり、スムーズに会話し、相手からの話も聞いたりする。でもそれも自分が聞きたいと思っていることなんだろう。もし気の置けない友だちやパートナーがいたりしたら、こういうこともなくなるのかなあと思うが、実際こんなに言いたいことが言えるなんてないだろうから、余計ストレスが溜まりそうな気もする。それで、不快に感じるんだろうか。頭の中の会話。プリントができないこともストレスが溜まる。私に編集能力はないみたいだから、ただプリントをやってたらいいのかと思う。ツイッターもバカみたいにつぶやいて、スマホ自体遠ざけようとして、でもゲームはやりたい。しかし庭造りパズル並に面白いと思えるものが見つからなくて、ダウンロードしてもすぐ消してしまう。季節を間違えたのか、もう鈴虫が鳴いてる。変てこな夏だ。

死に顔

台風が来ている。迷走台風。長寿記録更新するかも。ネットでおじいちゃんとか言われてて笑った。私の頭もこれくらい無軌道なはず。整えるな。昨日は写真美術館。あの長いベルトコンベアーを毎回通って行くからか、いつも不思議な感覚になる。繰り返される記憶みたいな。アラーキーやら北島敬三やらやなぎみわの見る。報道写真展はぐるっと回って出た。目が見えなくなったのかと思うほど。アラーキーの毒にやられたのか。伊藤俊治の話も聞く。この日は早く目が覚めて、それでも逡巡しながら、10時の20分前くらいに着いたら数人しか並んでなくて拍子抜けした。もう過去の人なのか。それとも真面目な話を聞こうと思う人なんて少ないのか。以前東松照明の写真集記念のトークショーに行って面白かったからまた聞きたいと思った。今回の展示、写美のホームページ見る限り全く惹かれないなあと思ったが、行ってみたらよかったのでよかった。だいたいホームページ自体がよくない。美術館自体もなんだかなあと思っていた。こういうのも独りよがりの妄想であることは十分あり得る。印画紙がそのまま壁に貼られているのに興奮した。トークイベントの中で、基本額装は好きではないってのがわかり、そうだよなーと思う。日記を額装するなんておかしなことだ。大きな印画紙。大きいと言ってもそんな馬鹿でかくはない。なんていうサイズなのか、大四つまでしかやったことないからわからない。今まで大きくプリントする必要性を感じなかったが、自分も大きくやってみたいと初めて思った。壁に貼るのはなにか印画紙を痛めない特殊なものを使ってるんだろうか。剥き出しの印画紙。伊豆で見たレンペルトも壁に貼っていた。でもレンペルトはマットな紙、アラーキーは光沢。だよなあ。でも反射してなかった。よくわからない。大きな印画紙、買えないなあ。明日の医者代もやっと工面した。工面というか、自転車操業。今ってどういう状態かしら。カード会社からの電話もかかってこなくなって逆に怖い。母親からもない。きても出ないんだけど。伊藤さんの話では、死という言葉がたくさん出た。写真を撮る行為、写真を撮るまでの時間が既に死を思う時間になっている。写真は死の現在進行形を留めるものだ、と。強制的に時間を止める。そこに留まることはいいことなのか。自分のことを考える。なにかに化けるわけでもない、ただの自分。死へのカウントダウンを自分でしてしまっているんじゃないか。今はあまり撮ることはない。でも出発地点だから考えてしまう。打ちっぱなしのコンクリートにモノクロの空の写真を並べたらあまりにも寂しかったんで色を塗った、というのは面白かった。モノクロとカラー。並べられた食事の写真。あまりにも美しい死に顔。しかも楽しそう。あやふやになる記憶。顔が一番裸って言葉にぎくっとくる。自分の顔。ポラロイドで一日一枚撮ってたことがあった。タイマーもないから手持ちでピントが合わなかったりぶれたり。髪を切ってから記念に一枚撮ろうと思って撮った。前のと比べたらだいぶ顔がほっそりしてる。痩せるのは顔からというけど、別人みたい。腹の肉を掴むと、たいして痩せた気もしない。死に顔、に表情を感じるのは不思議なことだ。いつ時間は止まるのか。かたまって、燃やされて、骨になる。死、と記憶は繋がるのかな。一枚一枚が自分の中を構成していって、埋まったところで死ねればいいかな。突然途切れても、それはそれでいいけど。

記憶

また曇り。でも気温は高い。ここ数日活動し過ぎだと思って作業をやめる。昨日4本現像したから早くベタ焼きをとりたい。六本木には迷った挙句OM-1を持って行った。外に持ち出すのは久しぶり。結果的によかった。それほど暑くないってのも助かった。初心に戻り、しっかり見て撮るということを意識した。現像はうまくいった感じ。とまってしまった時期もあったが、少しは学習してるのか。毎朝BSのワールドニュースを見るのが習慣になってきた。その他にもドキュメンタリーやら自然科学系の番組をよく見るようになった。そういえば映画もなんでも見ていた。雑食体質というのか。私のスタート地点は自分と向き合うことにあった。肉体というものにも興味があったのだが、それがだんだん内部の、簡単に言えば、自分はなんなのかということに移ったようだ。自分の立ち位置を見るなら、日本だけではなく世界の出来事を見たほうが見えてくるものがあるし、木を撮る、植物を撮る、から始まれば植物や動物の世界、さらに自然史や宇宙史まで果てしなく広がる。今まで門外漢だった科学に興味を持ったのは、写真に不可欠な光について謎が多かったから。光が電波と同じ波であることや、波の幅の大きさによって色が違って見えること。写真を撮るなら、もっと実用的で実践的なことを学べばいいのだろう。でもなんだかやたらと興味が広がって、面白いからいいかと思っている。そういう面白いと思ったことを伝えられる相手がいないのが時々悲しくなる。ツイッターでたくさん呟いてもしょせん独り言なのだ。いいねをもらえるとやっぱりうれしいけど。光、色。昨日記憶についてのドキュメンタリーを見ていたく興奮し、今朝になってまた考えてみたら、私の記憶には色がないことに気付いた。忘れっぽいのを自覚しているし、昔の記憶もものすごく断片的にしかなくて、止まった映像がぽつぽつある感じ。動かせない。でも色がないということはなにか衝撃だった。他の人がどうなのかわからない。番組によると、記憶というのは、一つの記憶でも、脳のいろいろな部分に別々に保存されていて、それが思い出すときに脳の中で合わさり構成されていくらしい。だから再構成され別のものになることもあり得るわけで、とても不確かなものだと。断片的過ぎてなんなのかもよくわからない記憶もある。寝転がってるのも余計だるくなると気付いたので、本を読んでみる。生命記憶。海の波のリズムと人間のリズム、太陽だけではない、月からの影響、えら呼吸から肺呼吸への変態、陸地へ上がった生物と海に帰って行った生物。そういうものが今の自分とどう関わってくるのか分からない。思考も動かない、夜10時。

タイトル

手がかゆい。汗をかくようになると手が荒れる。アトピーの一種だという。服の裾でガリガリやってひどくしてしまう。よくないと思いつつ何年も前にもらった薬をつける。ここに書くといつも反対のことが起きる。動けないと思っていたのが動けたり、やり取りしたくないと思ったのにやり取りしてたり。自分の頭は信用できない。信用できないと思っても出てくる言葉を書き留めるしかない。見たかったスーラージュも見れたし、新しい画家も見れた。写真もいろんなタイプのが見れたし、川田喜久治のラストコスモロジーも少し立ち読みすることができた。太陽、月の写真のイメージしかなかったが、見上げた木や睡蓮の浮く水面、コントラストの強い草むらの写真などもあって、写真に撮りたいと思うイメージって案外狭いものなんじゃないかと感じる。縦長の大判の写真集で、イメージの強さに圧倒される。PGIの今回のグループ展ではキャプションが全く無く、室内に置いてあるファイルで確認できることは分かっていたが、とりあえず写真を見ていくことにした。これはこの人だなと分かるものもあれば、分からないものもある。今道子のコラージュされた強烈な静物や新井卓のダゲレオタイプなどはすぐわかる。自分が今いいと思うものはどういうものなのか知りたかった。でも見ていってあまりいいと思えるものがない。雪の上に動物たちがいる写真、観葉植物のようなものと鳥の影が写っている写真。後者は後でラストコスモロジーのものだと知る。そこで不思議と意味が増していく。言葉と写真が響き合っているのか、知っている写真家だからなのか、よくわからない。現代アートのギャラリーでキャプションをつけないのは、作品の邪魔になるからだろうか。なんの情報もなしに作品と向き合うことは、遭遇、出会い、対峙。スーラージュの黒の連作は見てるこちらが試されている気になる。意味がないと同時に感情や熱情も排除されているようで、もう作者の存在も感じ取れない。そこにあるのは黒だけ。対照的に近藤亜樹の絵は色に満ちていて、しかもでこぼこしていたり平面だったり、描くことへの爆発的な熱情で、材料などなんでもいいと言わんばかり。何かを見る時に言葉はいらないかもしれない。タイトルや説明をきいて理解が深まったとしても、最初に見た感覚は変わらないようだ。いつの間にか日付が変わっていた。

寝る

寝支度をすませ、といっても風呂に入ってないが、ベッドに倒れ電気を消したら少し落ち着いた。外は雨の音。小さな電球、常夜灯というのか、はつけておく。暗い中ぼおっとしたオレンジ色。台風のせいなのか不安定なぐずぐずした天気が続いていて、一度は晴れて洗濯もしたのだけど、今日も雨。朝起きて少しの間はまだ元気があったが、すぐに不快な天気に巻き込まれる。昨日スキャンしたデータを確認して、あとは寝てばかりだった。疲労感だけではない気持ち悪さがある。全部天気のせいにする。体調が悪いと全部天気のせいにするといっていた人がいた。それを真似してみる。台風は迷走中でどこへ向かうのやら。海水温の高い海の上にいては消える望みはない。電気を消してもスマホは弄っている。まだ10時にもならない。寝る前はオレンジ色っぽいナイトモードにする。少しは目に優しそう。一番いいのは早く目を閉じてしまうことだ。でもこの時間が一番落ち着く。目を閉じたらもう明日。

トライ

昨日出かけた時は元気だったのに今になって疲れが来ている。夜寝ているのに眠い。寝ろと言っている。でもゲームなんかしている。レベルが上がりひとつをクリアするのに何度もトライしなきゃならない。トライトライ。そうするとあっけなくクリアできる時が来る。1日の記憶が遠ざかる。暗室やその他の作業を再開したものの、まだペースが掴めない。好きにやろうと思っている。好きにやるということはペースも自由自在に操れ、たらいいんだけど。あまりに地盤が不安定だ。Nとのやり取りもちょっとかみ合わないとすぐ嫌になる。この人は嫌だ。しかし何回同じことを繰り返しているのか。害のない人、に見えて実は害を受けてるのかもしれない。サボテンに水をやった。土に水が染み込む音はよい。きゅるきゅるという。家にこもっているせいか耳が過敏になっている。テレビのボリュームが前より3つくらい下。微かな異音を耳が感じ取る。街中は音が相殺されるのか、平気だった。電車の中では読書にできるだけ集中する。うじうじ考える前に出てしまえと、えいやっと出発したのだった。外に出ると、夏休みなことを実感する。あれラフォーレじゃね?!とか。Googleマップを頼りに歩く。重度の方向音痴なので、昔は23区の詳細地図を持ち歩いていた。今はスマホひとつ。そこにカメラが加わった。ヤシカダイアリーはプラスチックなので軽い。何も結論はない。寝るだけだ。