内部

 買い出し。美術館はやめる。不調。ゲームのやり過ぎ。液晶を眺めてると生命力を吸い取られる。ストレッチ、筋トレ。腹筋が一番きつい。子供の頃から起き上がれなかった。テレビで見た股関節を開いてやるやつ。腹筋を意識できる。自然に任せて。お金が入ればたぶん足取りも軽くなる。感覚を信じる。思い通りにいかなくても落ち込まなくていい。ビッグバンから138億年。太陽系が出来てから46億年。その後まもなく地球が、月が出来た。太陽系の内側には小さな惑星が、外側には大きな惑星が規則正しく並んでいる。BSのコズミックフロントネクストではカッシーニ土星に突入し役割を終えた数日後に、もう速報番組をやっていた。アメリカでの皆既日食の時も数日後。有能な番組。20年も土星付近を探索していた。とてつもなく遠い場所で。そのデータが正確に地上に送られてくる。一番驚くのは軌道に乗って計算通りに意図するところを辿る、そんな計算が出来ること。我が子を見守るような宇宙ステーションの人たち。あれこれやりすぎないこと。この本を読破すればかなり達成感があるだろう。まだ半分もいってない。地球の内部構造は難関だった。地質学的な話、地味だし、岩石は思った以上に複雑。玄武岩やら花崗岩やら、中国由来なのか?英語の名前とは一致しないのも混乱する。重たいものは沈み込み信じられない圧力で圧縮される。ヨガでこれだけは欠かさないことと言っていた死体のポーズ。朝の運動を終え床に大の字で寝転がり、つま先から頭のてっぺんまで脱力する。体がどんどん重くなり地面に沈み込むように、そして地殻、マントル、コアへと、沈み込むように、と意識してしまう。内部からようやくまた宇宙の話に出た。 

http://www4.nhk.or.jp/cosmic

生命の惑星: ビッグバンから人類までの地球の進化

 

『生の短さについて 他二篇』セネカ

徳を最高の善とするストア派。徳、というと他人のために何かする、世の中の役に立つ、イメージがあったが、大辞林を見ると違った。

とく [0] 【徳】

修養によって得た,自らを高め,他を感化する精神的能力。 「 -を積む」 「 -を養う」

精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。 「先生の-を慕う」 「 -の高い人」

身に備わっている能力。天性。 「よく味(あじわい)を調へ知れる人,大きなる-とすべし/徒然 122」

めぐみ。神仏の慈悲。加護。おかげ。 「 -を施す」 「神の御-をあはれにめでたしと思ふ/源氏 澪標」

善政。 「師(いくさ)をかへして,-を敷くにはしかざりき/徒然 171」

富。財産。裕福。財力。 「上達部の筋にて,中らひも物ぎたなき人ならず,-いかめしうなどあれば/源氏 東屋」

富を得ること。利益。もうけ。得。 「時の受領は世に-有る物といへば/落窪 1」

ストア派のいう徳はまさに①にある精神的能力のことだった。何事にも動じない、支配されない精神。解説に、倫理面でキリスト教の下地となったとあるけど、宗教は神秘性や芸術、政治に利用されたり、とにかく信じていればよかったり、いろんな広がりがあるのに対し、哲学は神秘性のかけらもない。日々どう生きればいいのか、特効薬などもない。ただ膨大な人間の具体例と観察眼が、流暢かつ辛辣な文章で書かれていて、しかも友人への手紙という形式だから読みやすい。解説によると、この、君は、というのがだんだん自分に向けて言われているように感じ、対話によるセラピー効果もあるらしい。それだけ親しみやすさを感じる。ちらっと出てきた宇宙観にも興味を惹かれた。他人のことで心を煩わすのはバカバカしい。自分がしっかりしていなければ人にも悪い影響しか与えない。インターネットに支配されるな。と戒める。

 

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

 

 

 

『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』

三島がただ一人の師と仰いでいたのが川端康成。初めは昭和二十年、三島がまだ二十歳の時、川端は四十六歳。巻末の年譜を見ていて、三島は昭和の年と年齢が同じことに気づく。昭和四十五年に四十五歳で自決し、二年後に川端は自殺。往復といってもだいぶ三島からが多いが、直接家を訪ねることも多かったよう。だんだん私的な話題や事務的な話が増え、それだけ近しくしていたことがわかる。手紙を読んで驚くのは川端の精力的な活動ぶりで、外国へあちらこちら行ったり、ペンクラブなど役員の会合や会議、授賞式、そしてもちろん雑誌への連載に追われていただろうし、こんな多忙の中では、骨董や美術品を眺めるのはさぞ心落ち着く時間だったろう。小説を読んでいて、勝手に静かに暮らしているイメージがあった。随分いろんな国に行っている。別に旅というわけではなく、賞を受けて呼ばれたり、会合に参加したり、ノーベル賞を取った後は講演をしてまわったり。三島の川端作品への心酔ぶり。「肉体と感覚と精神と本能と、すべて霊的なるもの肉体的なるものとが、青空とそこを染める雲のように、微妙な黙契をみせている(中略)身の悲しみ身の美しさ、その中に宿る神の肉体に触れえた人の、類いない文学だと信じております」死ぬ前年には遺書めいた手紙もあった。自分が死んだ後の子供たちを気にかけた手紙。面白い節があった、「現実家のメガネをかけた肥つた顔といふのは、私のこの世でいちばんきらひな顔です」

川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)

川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)

 

 

弁論

未来に見えたのは記憶だったかもしれず。形のないもの。形あるものを見て形ないものになっていく。お彼岸だという。お線香もあげない。お墓には入りたくない。そんなことを考えるのさえ必要ないのかも。妄想をやめよう。 死は無記   、善でも悪でもないということらしい。無記。。。気に入った。セネカの言うことは素朴でシンプルで、社会が違うからとも言えるが、人間そのものは変わらない。人間の陥りやすいありとあらゆる悪癖、悪徳が書いてある。弁が立ちすぎて暗殺されそうになったくらい、能弁家だったらしい。皇帝ネロの養育係だった。今の哲学者とはだいぶ違う。人間というものに対する理解、その中でどう自分を律して生きていくか。ストイックの語源になったのもわかる。降って湧いたかのように総選挙?西洋人の演説を聞いていると、弁論家の血筋を感じる。言葉そのものがはっきり言うように出来ている。 面白いところはたくさんあったが、  親は選べないが自由にだれかの養子になることができる(偉大な思想家の)、生というものの価値を減らし安価なものとみなすべき(死を知らないものは生も知らない)。 あと、  一人でいるのと群衆の中に入ることを繰り返さねばならない。。。こんなシンプルな言い方、現代人はしない。

時間

続き。昨夜、セネカの「生の短さについて」を読み、改めて、気付かずに去っていく時間の貴重さについて考え、あの時間軸の設定も重要なものなのではと気付く。限られた燃料で極限の戦闘をするパイロットの1時間、既に戦闘に敗れ極度の疲労と精神状態で生き抜く兵士たちの1週間、本国から小さなプレジャーボートで救援に向かう親子の1日。どれもどれだけの重さのあることか。イメージの連関で繋がるから混乱したが、後で考えてみれば、全く同時間ではなかった。それが一つに集約されるカタストロフィー。セネカはローマ時代のストア哲学者で、ストア派なんて聞いたのは教科書で習って以来だと思うが、TEDでそれを実践している人がプレゼンテーションしていて興味を持った。三編入っていて表題作が読み終わったところだが、まあなんて面白いんだろう。難解な哲学書などではない。時々笑ってしまいながら読んでいる。本を読もう。

ダンケルク

ダンケルク」をIMAXで観た!IMAXは初めてではないがクリアな映像と音の迫力がすごい。映画を観る、に加えて体験するという言葉が相応しい。クリストファー・ノーランは「メメント」の頃から好きで、「フォロイング」も確かレンタルで見た。その後もハズレなし。あまりメジャーではないが、珍しくロビン・ウィリアムズが悪役で出ている「インソムニア」も好きだし、「ダークナイト」「インセプション」も世界観がたまらない。「インターステラー」は未見。今回は史実に基づく戦争映画。戦争映画なんて山のようにあるが、冒頭、若い兵士が走るシーンで、ノーランの映画だ!、と身震いする。その世界観をどう説明したらいいのか。海岸線の遠望、パイロットが見る空と海と地平線。それぞれの、個人の目線。第二次大戦の映画なのに未来的に感じるのは、そういう一つのものから広がっていく、拓けていく、世界の構築のようなものを感じるからか。内容は戦争の中の一つの美談で、エンターテイメントになっている。話を戻すと、よく知らなかったのだが、映画制作時点でIMAX映画として作られていて、これもまた知らなかったのだが、ノーランはフィルムで撮ることにこだわっていて、wikiによるとこれもIMAX65mmというので撮られている。今映画で、どのくらいの人がフィルムで撮っているんだろう。でもユナイテッドシネマのサイトを見ると、IMAXデジタルシアターとなっているから、デジタルに変換して上映しているのか。そもそもこれをフィルムで上映することが可能なのか?よくわからない。しかし映画館自体が久しぶりでしかも観終わってもしばらく、帰宅しても覚めないような余韻。何年前のか、「プライベートライアン」も映画館で観て、有名な冒頭の戦闘シーンは凄かったが、これはとにかく音がクリアで、弾が船を貫通する甲高い音など一音一音にビクッとしてしまう。戦闘機の音も凄い。でも派手な映画ではない。戦うこと、生き抜くことは戦争に限らない。舞台が戦争というだけのこと。

歩く

完全に限度オーバーで歩いた。日差しがまだきつい。昨日は結局一日ダウンしていた。疲れは後からやって来る。今日は医者の日で自立支援の申請の控えを見せたら予想外に今日から適用された。発行までは立て替えて置くのかと思っていたからうれしい。なにしろ2、3ヶ月かかるというから。疲れはあるもののなぜかやる気はあって帰りに映画を観に行こうと思っていた。しかし時間が合わず断念。代わりに公園を散歩した。昨日ほどではないが30℃ある。何度も来ている石神井公園。ただ歩こうと思った。まだ蝉も鳴いている。写真を撮る時のように鋭く見たりしないように。でも歩いて、気になったものに立ち止まっていると、やっぱり撮りたくなる。記録したくなる。ということで写真日記

 

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スイレンの葉。飽きず眺める。この切り込みはなぜ入っているのだろう……

 

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まっすぐにすっと伸びた幹。美しさにはっとする。なんという木かはわからない。

 

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水の流れるところ。太陽がきらきらする中、いろいろなものが流れる。水面に映った影と交じり合い色も混ざり合う。動画も撮ったけど動画は横にして撮るんだった。音も入っていて面白いがここにアップできるんだろうか。。

 

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最後にカモ。冬場と違い鳥はあまりいないようだ。カモがたまにいるだけ。昔からカモが好き。見つけようとしなくてもいるし。鳥はみななにかユーモラスだ。水中の杭の上に立っていて、時々毛繕いしていた。他の何羽かも同じように立っていて、なかなか面白い状況だった。

 

日差しを浴びすぎて頭が痛い。