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再編

プリントの分類を終わらせホームページの再編をした。問題なのははっきりしたテーマがないこと。言葉が重要なのはわかっている。ひとの展示を見る時でも写真家の示す文章を読むと理解が深まる。でも難しい。まだはっきりしたものがない中で、いい加減に言葉にしてしまうことにためらいがある。論理的に文章を書くことが私には難しい。写真をいくつかのグループに分けて数字をふっただけ。一度タイトルをつけたけどやめてまた数字にしてしまった。今、一枚一枚にキャプションをつけられることに気付いた。言葉は必要な時もあれば余計な時もある。先日見たインスタレーション的展示は言葉が多すぎると思った。見る、というより感じるのに邪魔になる。言葉はつけなかったが並べる順番はとても考える。イメージの序列。フィルムカメラを買ってわりとすぐに撮ったやつが採用されたりしている。進歩がないのか。以前のネガを見返せばプリントしたいものが山ほど出てくるんだろうな。以前選んだものと今選ぶものは違うだろうから。プリントし直したいのも山ほどあるし。そしてもう夜遅い。

もの

禅寺に並べられた石はひとつひとつに意味が込められている。その意味というのは人間が与えたもので石が自然を凝縮したものであるとしても自然と一体になり精神を飛躍させるための道具でしかないのか。意味も、精神性も剥ぎ取り、ただの石として見たら。「これはもしかしたら石ではないのかもしれない」そこら辺にありそうななんの変哲もない木の板が無造作に接ぎ合されたり、金具で留められたり、線を引かれたりしている。なんの意味もない。驚くほど削ぎ落とされている。シンプル、とも違う。違和感を生じさせながら、見れば見るほど静かな美しさを保っている。そこにあるのはモノと作家の対峙。どれも両者の戦いの記録のようであり、見つめる眼差しのようでもあり、まさにそのもの、のようでもある。六本木から恵比寿、渋谷。歩けば歩いただけ理解できないものにぶつかる。暫くぶりに行った渋谷の変貌。工事現場に囲まれた迷路のような通路。下を見ればいいのか、横を見ればいいのか、上を見ればいいのか。仮に作られた金属の階段に響く甲高い足音はまるで街の足音。街が歩いている。一定であるべき自分の高ぶる気持ちを抑えられないでいる。OM-1を持ち出して撮ったのは近場を除けば久しぶりか。手が震える。使ってないなら感覚も鈍るのも当たり前だ。菅木志雄の展示の紙に「相依性」という言葉があった。造語だろうか。何か引っかかった。

空模様

空が暗くて出かけるのをためらっている。今までのプリントを総ざらいしてテーマで分類する。少し蒸してきた。水面、公園、地面、動物園、スナップ、都市幻想、木…ひとまず分ける。具体的なもの、抽象的なもの、あきらかにダメなもの、どこに入れるか迷うもの。今までは撮った順に並べていたが、それも無意味になった。川村記念で池をたくさん撮ったが、ハスの葉がクエスチョンマークのように並んでいるのを周りが余計だったのでトリミングして完全にタテの写真にした。トリミングするのはめんどくさいし少しも切りたくないと思うのが多くて今までほとんどしなかったが、やってみると画像が粗くなったりして面白い。イーゼルの羽を動かして直角にするのが嫌なので、そのままやってしまったら、いつもより余白が少なく案外きれいにできた。主題がはっきりして強いイメージ。雷がゴロゴロ言い出した。ツイッターはすっかりイメージの羅列になっている。空模様の怪しくなった空をスマホで撮っていたら、あほかカメラで撮れと思い、慌てて空になっていたヤシカOM-1にフィルムを入れた。入れているのといないのだけでも大違いだ。OM-1の本体に虫が一匹住んでいて、気になってしょうがないから強力乾燥剤と一緒にしばらく密閉しておいた。動かないから死んだか。プリントの分類はまだ。

19世紀

黒い部分がどこまでも黒くても真っ黒にはならない。硬質な、線と線で埋め尽くされた中にほの暗く浮かぶ白さ。銅版画についてあまり知らないが硬い線で構成された白と黒の画面に惹かれる。鋭利な。線的なもの。中身などどうでもいいと言わんばかりの形。灯台下暗しで久しぶりに練馬区立美術館へ行ったら、展示も面白いし、カラフルな動物たちがそこかしこにいる庭も小ぶりながら楽しい空間だった。19世紀のパリをテーマにした展示で、最初のパリの古地図や風景画は行ったこともないし地理の感覚もないからつまらなかったが、鹿島茂氏の古書のコレクションには装丁を含めわくわくし、芸術的な銅版画やドーミエの風刺画、美しいアルビューメンプリント、ピエール・ボナールのカラーリトグラフなどはとてもよかった。見終わったと思ったら小部屋でレ・ミゼラブルのミニ展示をやっていて、これまたいたく興奮した。1862年の初版の出版時から大人気だったとか。小説もミュージカルも両方好きだから人物はもうお馴染み。それぞれの挿絵。小さくて、これは絵なのか?写真にも見えるけど?説明書きをよく読んだら絵を写真に撮ったもの、アルビューメンプリントだった。まあ本当に美しく見惚れてしまう。また読みたくなったが分厚い文庫本5冊組、あれを読むには集中がないと…。あれこれ気が散っている。昨日プリントしたのはなかなか面白そうだ。ダッペングラスを撮った、顔のように見えるやつ。これは私にとってのポートレイトなのか?顔、顔、顔。静かに、穏やかにして。

ぶくぶくと泡の音。きーきー人の声。勘違いってどこでどうしてしまうんだろう。行く必要のない場所に行ったり、会う必要のない人に会ったり、笑う必要のないことで笑っている。泡がはじけていく。底のほうに残った水は腐っていく。カビの生えたガラス瓶というのは面白いもので、ガラスだから丸見え。ようやくガラスのバケツに合う浮草みたいのを買った。名前を聞くのを忘れた。根は黒くて何かの体毛のようで気持ち悪い。きれいな緑と黒い根っこ。サボテンも羽毛みたいな毛のはえたあしが伸びてきて最初は何かと思ったのだが、冷静に考えれば新しい根なのだった。とても白いからびっくりした。三つのゲームじゃ足りなくなって新たに二つダウンロードした。それでも思索する庭師のが一番面白い。こちらの名前を呼んで話しかけてくる。何もせずとも画面を見てると時々哲学めいたことをつぶやきながら庭の手入れをしている。しかしなかなかパズルが難しくなってきた。バラバラの言葉を吐き出すことは必要のないことをするのと同じようにどんどん薄っぺらになってくみたいだから、しばらくつぶやかないでいる。撮った写真ももしかしたら吐き出さないほうがいいのか。いやそんなことはないだろう。とか

ミュシャ

テーマはないと言っても撮るものは自然と定まってきている。フィルム現像の時間も少し変えたりしている。テーマというのはいつ決められるものなのか。一定数集まればテーマとなるのか。たぶんいろんなやり方があるんだろう。ガチッと決めてやるタイプでないことは確か。それでも決まりきってやりすぎてるかな。もっと遊んでみたい。展示を三か所回った。地下鉄を乗り継いだのでかなり疲れた。階段ばかり。今日は暑かった。ノースリーブにカーディガンでそのカーディガンもいらないほどだった。よく皆服を着てられるなと思う。慣れなのだろうが。靴もサンダルにしたがやはり長く歩いたら足が痛くなった。足がまだ慣れてない。最近は楽なローファーやスニーカーばかりだったから。一時地味なかっこしようとしていたがまたちょっと戻った。テンションが戻ってきたせいもある。多少派手にしたほうがまわりの対応がよい、と思うのは気のせい?国立新美術館でのミュシャ展。巨大な連作、スラブ叙事詩。これだけのものを描き上げる熱情みたいなものはどこから湧いてくるのだ。大原美術館コレクション展の時も巨大な絵画が何点もあり圧倒された。まだ若い画家たちの作品。イメージの奔流が絵筆に乗り移ればたとえ巨大な作品であろうと苦にならないのかもしれない。その大きさこそがまず必要になるのかもしれない。写真を大きく引き伸ばす必然というものは・・・なんだかちまちまやっている。でもまた展示をしたいという気持ちが出てきた。何らかの目標。

テーマ

短いスカートがはけなくなった。はいても似合わない。スカートはあまりないが丈短めのワンピースはたくさんある。たくさんでもないが、着れるものが少なくなって悲しくなる。暑くなったら軽やかに行きたいじゃないか。そんなことどうでもいい。出かける時に悩むってだけ。今日は出かけようかと迷って結局作業することにした。実際問題お金がないんだった。都内では常にどこかしらで興味を惹かれる展示をやっている。ギャラリーならまだいいが、美術館となるとお金も飛んでいく。日々の情報。そんなにふらふらしていたら進むものも進まなくなる。気温が上がってきて暗室内の温度管理が大変になった。家自体が熱をもつようだ。今のところ水を入れたバケツに冷却材を放り込み、合間に外の扇風機で空気をかき回している。部屋のエアコンの許容範囲を超えているのだ。面積的に。閉め切っていると引き伸ばし器のランプだけでも部屋の温度が上昇する。そういえば昨日引き伸ばし器を分解してコンデンサーレンズを掃除した。このレンズにたどり着くまでが大変で、どうしてもネジがひとつ外れず、最後には金やすりでネジを削って外した。ネガキャリアを削るために買ってたものが役立った。まだ本来の用途では使ってないがまあよかった。レンズにはカビがいくつか生えていて磨いて落とした。いつ生えたのか、定かではない。今までなかったから最近か。背景が淡いグレーの写真をプリントしたら変な現像ムラみたいのがどれにもあって気付いた。ただ過ぎてゆく。作業時は調子がよく、すいすいプリントして気持ちがよかった。疲れ、その慰めはゲームとビールくらい。ただプリントしたいものをプリントしている。いいと思うものをファイルに入れる。テーマなど何もない。一日が終わる。